『プーちゃんことプレストシンボリという馬がいました』『 あの場所で喋った 』(チワワに他意はありません)

2022年12月02日

『 あの場所へ呼び出された 』

「一度、講義をして欲しい。」

 

最初に依頼されたのは、まだ暑かったころだ。

二年振りに会った、長谷寺の役寮の方から唐突に言われた。

長谷寺は私が修行をしていた専門僧堂。

曹洞宗の大本山永平寺の別院でもある。

役寮とは修行僧を指導する立場の方のこと。

 

ここは私が今までの人生で、一番打ちひしがれた場所だ。

遠泳した後のアンパンマンくらいに弱り果てた。

おそらく脱毛症になっていたとも思う。

既に毛根は尽きているではないか!とお叱りを受けそうだが、とにかくそれぐらいのフルボッコ状態になった場所だ。

 

そこでビシビシと、教鞭を振るう側の立場にいた方から、そう言われたのだ。

僧堂では、修行僧が許されている返事は3種類しかない。

 

「はい」か「いいえ」。

どうしてもそれでは困る場合に「失礼いたしました」。

 

僧堂という特殊な環境下でのヒエラルキーにおいて、当然「役寮」とは最上位だ。

そして修行僧の中でも、「古参」と呼ばれるベテランから、「新到」というルーキーのランク分けが存在する。

 

例えば、新到が古参に話しかけられた場合は、「目を見てはいけない」という暗黙のルールがある。

下層に生息する修行僧の間ですら、そうなのだ。

ピグミーマーモセットとゴリラくらいの、歴然とした差がある。

 

ましてや指導する立場の役寮さんともなれば。

もうキングコング。人外。

ピグミーマーモセットであった私など、鼻クソをぶつけられただけで絶命しかねない。

その方から、直々に頼まれたのだ。

 

返事を間違えるわけにはいかない。

命ですら落としかねない。

 

一瞬の間があった。

 

そして、どちらからということもなく、互いに爆笑する。

言った方も、言われた方も。

 

私はいつものように返事をした。

 

「またまたまたー、ナニ言ってるんスか。」

 

もちろん鼻クソは飛んでこない。

 

もう僧堂から離れたから関係ない、ということではない。

実はこの役寮の方には修行僧時代、とてもお世話になった。

そのせいか二年目を終える頃からは、だいぶ親しくさせていただいたのだ。

 

(もちろんそうでない方もいる。

決して悪い意味では無いが、今でも顔を思い出しただけで、ジワッと手に汗握るくらいに緊張してしまう方もいる。)

 

その場はうやむやして終わったが、その後も連絡を取るたびに

「で、講義はいつやってくれるの?」

と、毎度のように誘われるようになった。

 

もう既に秋風が吹き始めた頃、某夫人に

「何度も誘ってくれるのだけれど、困っちゃったな」的な話をしたら

 

何を言っておるのだ、と。

役尞さんに頼まれて、うやむやにするほど偉いのか貴様は、と。

だいたい嬉しそうにその話をする時点で、ホントはやりたいのであろう、と。

 

某夫人はオブラートというものの存在を、おそらく知らないのであろう。

ここにもキングコングがいたな、と思いつつ、不思議と心地よさ感じながら

 

「はい」

と目を見ずに返事をした。

 

 

 

その後「講義の件、是非やらせてください」。と返事をする。

役尞さんは、ことのほか喜んでくれた。

 

「何を話してもいいから。ジローさんの経歴で、その時に感じていたこと話してくれればいいから。」

 

「分かりました。頑張ります。で、何分話せばいいんですか?30分くらいですか?」

 

と聞くと、半ば呆れたように

 

「何、言ってんの。講義だよ。一コマ90分でしょ。忘れたの?」

と、言われる。

 

キュ、きゅーじゅっぷん???

慌てて調べてみた。

 

スピーチの話量は「1分間に300文字」。

ふむふむナルホド。

 

90分だと・・・27000文字か・・・

どの程度か、さっぱり分からん。

 

原稿用紙で・・・1枚400文字だから・・・

・・・え?

 

ロ、ロクジュウナナ??

 

全く想像のつかない世界だった。

10枚程度であれば楽に書ける。

156枚となると少し気合が必要だ、という印象。

 

だが67枚となると、どうなんだろう。

思わず返事が遅れる。

 

「え?ジローさん大丈夫?大変だったら最後の30分は質疑応答とかにする?」

 

そんなの、誰も質問してこなかったら、痛々しすぎるではないか。

 

「いえ・・・大丈夫です。ちょっと驚いただけです。時間余りそうだったら、とにかくゆっくり喋るようにします。」

 

間延びするくらいにスローで話をする自分を想像する。

もう見た目的にも、発語に問題が出はじめたお爺さんではないか。

 

とりあえず原稿を書いてみよう。

 

ぼんやりと考えていた内容は、馬の仕事に就くきっかけから話し始めて、僧侶となって取り組んでいることまで。

これでは足りないだろうか。

もっと、さかのぼった方が良いのだろうか。

なにかエピソードがあれば良いのに。

生まれ落ちた瞬間に、いきなり7歩も歩いて「天上天下唯我独尊」とか言っちゃったお釈迦様が羨まし過ぎる。

 

とにかく一度書いてみなければ、見通しが全く立たない。

全然、書き足りなければ、その時に考えよう。

それに講義自体も、まだ具体的に決まったわけでは無い。

やっぱり無理だ、と断る可能性も…ありだろう。

 

 

「私は僧侶になる前、競走馬の調教と管理をする仕事をしていました」。

いよいよ書き始める。

 

・・・

・・・・・・

・・・・・・・・・

 

うーむ。 

これは。

 

超楽勝ではないか。

話の途中、まだ修行僧になってまもない辺りの話で既に30,000文字を超えている。

 

むしろ全く足りないではないか。

どんだけ話し好きなんだ私。

 

まあ、とにかく最後まで書こう。

 

まるで自分史をまとめているような感覚だった。

夢中で書き進める。

こんな機会がなければ、しっかりと振り返ることも無かっただろう。

縁に感謝をしつつ、とりあえずラフな感じではあったが、書き上げた。

 

そして今度は、音読してみる。

まだ原稿とはまだ呼べないような乱雑なものだったが、かかる時間を知りたかった。

読み始めて、一時間を過ぎる頃からチリチリと喉が痛み始める。

最後の方ははっきりと面倒くさくなっていた。

 

なんと。

読み終わった時は150分を超えていた。

自分のお喋り好きに、我ながら呆れ果てる。

これを90分まで短くしなければならない。

 

以前、ナカヤマフェスタの話を競馬ブックに書かせていただいた。

その時の経験で、全体をぎゅっと縮めようとすると、ろくなことにならないのは分かっていた。

どうしても展開が忙しくなってしまうのだ。

2倍速で話を聞いているような感じになってしまう。

 

今回はエピソードごと丸々削り落とすことにした。

せっかく書いた話を丸ごと削除するのは、そこに登場する馬や人、思い出に対して凄く失礼な気がしたが、もう仕方ない。

しかし半分とは言わないまでも、相当な量を削らなければいけないのだ。

躊躇してはいられなかった。

 

削っては音読をして、を繰り返す。

だいたい80分程度にまとめ終わった頃、役寮さんから連絡が来た。

 

「監院老師が会いたいってさ」

 

ゲゲ。

監院とは役寮を束ねるお方だ。

つまり長谷寺のトップオブトップ。

 

役尞さんはキングコングと形容したが、それをはるかに凌駕する。

エンパイアステートビルにしがみ付いたキングコングをデコピンで吹っ飛ばせるようなポテンシャルを持つ。

 

そう、ゴジラなのだ。

 

(因みに、ゴジラを鼻息で吹き飛ばす、裏ボス的な方もいらっしゃるし、裏ボス含め全員まとめて一口で召し上がれる地球外クラスの方も控えている。)

 

じつは今のゴジ・・監院老師とは面識がない。

あちらとしても、どこの馬の骨かも分からん奴に、講義を任せるわけにもいかないのだろう。

一度、顔を見せに来いということだ。

 

数日後、長谷寺の山門をくぐった。

修行を終えて以来、初めてだ。

二度と来ることは無いだろう思った、この場所へ戻ってきた。

 

足がすくむ。

敷地内へ入っただけで緊張している。

そんな自分に驚いて、ふいにニヤけてしまった。

 

ああ、思い出した。

この感じ。

自分なりの防衛本能的が働いて、口元が緩むのだろう。

緊張してこわばる身体を、弛緩させようとする、この笑み。

修行中も何度か発動してしまった、この薄ら笑い。

「笑ってんじゃねえっ!!」

と何度罵倒された事か。

 

思わず止まってしまった足に、そそかされるように

 

・・・帰っちゃおうかな。

 

そんな思いも湧いてくる。

呼吸もいつの間にか浅くなっていたようだ。

 

一度大きく深呼吸してから、勢いをつけ、少し大股で受処(うけしょ・受付)へ向かった。

挨拶を済ませ、応接室へ通される。

 

しばらく待つと、修行僧がお茶を持ってやってきた。

まだ客の応対に慣れていないのだろう。

差し出す茶托を持つ手が、震えている。

ここはそういう場所だ。

 

間もなく役尞さんが入ってきた。

知っている顔を見て、心底ホッとする。

迷子センターで親が迎えに来てくれた時の安堵感に近い。

 

湯呑を持つと、ボタボタと水滴が、茶托へとしたたり落ちた。

先ほど震える手で差し出された際に、結構な量がこぼれていたのだ。

「なんだ?酷いな、そりゃ。」

役尞さんが笑いながら言った。

「お茶を出してくれた方、スゴイ緊張してましたからね」。

思わずフォローを入れてしまう。

彼がこのあと叱られませんように。

 

やがて来る、という監院老師を待つ間、雑談ができたことでだいぶ緊張もほぐれる。

 

「今度の監院老師ってどんな方なんですか?」

「うん、優しい人だよ。大丈夫。」

 

身構えまくる私のことを、察してくれた答えが返ってきた。

想像の中で、背びれを震わせ、アレを吐きだそうとしていたゴジラが、スッと落ち着く。

 

すこし甲高い男性の声が、応接室の外から近づいてきた。

サッと役尞さんが立ち上がる。

やってきたのだ。

私も慌てて立ち上がり、合掌するのと同時に

「ガラリ」

と扉があいた。

 

「やーーまあまあ」

 

深く低頭する私に、頭を上げるよう言いながら、監院老師が入ってこられた。

想像していたものがアレだから当たり前だが、思ったより小柄な方だった。

 

「馬の人なんだって?」

かなりざっくりとした、くくりだ。

 

一瞬、「はい」とも「いいえ」とも言えない。

危うく「失礼いたしました」と言いそうになったが、その前に監院老師が続けた。

 

「私の息子も馬が好きでね。」

 

やはり気を遣ってくれたのであろう。

一気にハードルが下がった。

 

息子さんは老師に内緒でこっそり大学を休学し、「馬の学校」へ2年ほど通っていたこともあったらしい。

となると、ほとんど元同業ではないか。

気が付けば、すっかりとリラックスして軽口を叩いている私がいた。

 

—・―・—・―・—・―・—・―・—・―・—・―・—・―・

 

円相(えんそう)とある。

単純に「円」であったり「一円相(いちえんそう)」と表されることもある。

一筆でグルッと円を描いた書画を、寺院などで見たことのある方もいるのではないだろうか。

 

仏性、真理、宇宙など象徴的に表すと言われているが、解釈は自由らしい。

 

そして「血脈(けちみゃく)」というものをご存じだろうか?

お釈迦様から授かった教理が、代々受け継がれていることを示した一枚の紙だ。

当然最初にお釈迦様の名前。

次は摩訶迦葉、阿難陀と弟子の名前が続き、一本の線で結ばれている。

私の持つ血脈には、これがずーっと続いて、私の師匠の名前、最後に私の名前が記してある。

 

そして一本の線はそこで終わるのではなく、私の名前からある人へ続いていく。

そう、最初のお釈迦様、釈迦牟尼仏へと結ばれるのだ。

 

これも円相である。

上下などない、ということだ。

 

—・―・—・―・—・―・—・―・—・―・—・―・—・―・

 

「で、ナニ話すの?」

 

突然のド直球の質問に、再びうろたえる。

「えー馬の話とか、修行中の話とか・・・ですか・・ねぇ。」

 

この話、無かったことにしよう、と言われかねない醜態だ。

見かねた役尞さんが、助け舟を出してくれた。

 

「今の僧堂にいる修行僧は、出来が良い子が多いですが、小さくまとまり過ぎてる感じがします。」

「ジローさんのような、ちょっとはみ出る感じの、経歴とか考え方とかが刺激になると思うんです。」

 

あの、はみ出したくて、はみ出たわけでは無いんだけど。

っていうか、やっぱりはみ出ていたのね。

つまり、そう思っていたのね。

 

助け舟はありがたいと思いつつ、卑屈なピグミーマーモセットはそう考えてしまう。

 

ゴジ・・監院老師が大きくうなずくと、こう言った。

 

「うん。良いんじゃない。じゃあ、よろしく頼むよ」

 

(多分、続く)



kashikoyama at 18:00│Comments(2)僧堂 | 日常

この記事へのコメント

1. Posted by テスコらぷ   2022年12月02日 19:10
5 久しぶりの更新、待ってました!

永平寺で修行した友が鎌倉で住職を務めています。
親も曹洞宗菩提寺ですが、今の住職は總持寺の方のお寺で修行されたようです。
友が起床の鈴を鳴らし走る「音」のCDを偶然持っていたのですが、永平寺にお参りした時の若い修行僧はお肌がきれいで、凛とした所作に惹き付けられました。
映画「ファンシー・ダンス」の修行風景を観た時、友から話は聞いていましたが、いや、大変な環境なんですね。

お茶を出された方の緊張に気づかれたジローさん、やさしいです。
続き待ってますー
2. Posted by JIRO   2022年12月03日 10:06
>>1
コメントありがとうございます。
いやー私も緊張しました。つくづく僧侶向いてないと思いました🤣

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『プーちゃんことプレストシンボリという馬がいました』『 あの場所で喋った 』(チワワに他意はありません)