2022年09月01日
『陰湿じゃなくて除湿だった』
お盆を過ぎて夕方の風が秋めいてきた。
家の近所が田んぼだからだろうか、何となく風に乗って稲ワラの香りが漂っている。
もう涼しくなるのかな、と思っていたが翌日の朝はまだまだ夏が踏ん張っていた。
目覚めた時から鬱陶しく湿度がまとわりつき、朝から息苦しい。
窓を開けると、昨日草刈りを済ませた庭からむせ返るような草の匂いが鼻腔に詰まってきた。
何に対してという訳でもなく悪態をつきながら、朝の支度を進める。
今日は休日だ。
6時前に家を出て、ヒポトピアへ向かう。
ここは私がお手伝いしているホースセラピーの施設だ。
到着すると既に朝の飼葉(馬のごはん)も付け終わり、馬房の掃除が始まっている。
「おはようございます」
先に作業を始めていたスタッフたちがニッコリ笑って挨拶をしてくる。
まるでカラッと除湿機のような笑顔だ。
脂ぎった寝起きのオッサンにはもったいないくらいの爽やかさで、不快指数が一気に下がる。
厩舎作業を始める。
競走馬界隈で仕事をしていた時、馬房の敷物は基本稲ワラだった。
1馬房15分もあれば完璧に綺麗に出来る。
しかしここはほとんどの乗馬クラブと同様シェービング、「おがくず」だ。
一番の理由はコストだろう。
そして「おがくず」は非常に作業しにくい。
汚し方がひどい馬だと30分くらいかかってしまう。
それでも細かく混ざってしまったボロ(うんち)はどうしても取り切れないし、達成感がまるで無いのが辛い。
しかも埃っぽし、汗をかいた体にベッタリ付いてくるし、腰も痛い。
すぐに座り込んでしまいたくなるほど疲れてしまうが、カラッと除湿女子たちの笑顔につられて体を動かしてしまう。
3時間ほど厩舎作業をして、その日のレッスンが始まった。
複数の家族連れがやって来る。
今日は体験乗馬だそうだ。
ここで体験乗馬につくのは初めてだ。
今までは何かしらの障害を持つ子供たちのレッスンばかりだったが、そもそも体験乗馬コースがあるとは知らなかった。
最初は元気な女の子。
お馬さんはムギちゃん。
重種のミックスで体はデカいが、ここで一番優しいお馬さんだ。
私が馬を引いて、サイドはカラット除湿女子の一人。
多くのコーンが馬場に並べられて、スラロームや輪乗り、速歩と一通りの基本の動きを体験できるように工夫されている。
コースの3週目になると、私は引綱を放してムギちゃんの側を歩くだけ。
乗っている子はカラット除湿女子のアドバイスを聞きながら、一生懸命ムギちゃんをコントロールしている。
実際はそばで私がムギちゃんに指示している部分も大きい。
けれども乗っている子は自分が動かしているかのような達成感を得られるし、実際できている部分もある。
なによりカラット除湿女子のアドバイスとほめ方が気持ち良い。
「できるかなー?」
「すごーい!上手ですよー!」
見事なまでに騎乗している女の子の湿度イヤ感度をコントロールしている。
女の子もすっかりその気になって「私乗馬を始める!」
と息巻いていた。
凄い!一発で顧客をゲット!と思ったらここヒポトピアでは体験乗馬まで。
その気になった人はどこかの乗馬クラブへどうぞというスタンスらしい。
だからしつこい勧誘は一切ない。
というかまた来たいと言われてもお断りなのだ。
なんてドライな。
除湿のし過ぎだと思うが、メインは身障者の子供のレッスンなのでそこまで手が回らないらしい。
次の騎乗は打って変わって大人しめの女の子。
ウマはプーちゃん。
言わずと知れたヒポトピアの大エースだが、改めて紹介しよう。
本名はプレストシンボリ。
これは名前省略し過ぎだろうという話だ。
一文字しか採用しないって。
今のウマ娘ファン風に言うとプレシ?プシン?
ウームやっぱりプーちゃんで良いのか。
なんと重賞勝ち馬(‘95ラジオたんぱ賞G3)だ。
もう選ばれた功労馬なのだ。
そして御年30歳。
もう唇もしっかりと閉まらなくなり、いつも草色のよだれをフヨヨンフヨヨンと風にたなびかせている仙人然としたプーちゃん。
それでもセラピーでの安定度は抜けて高く、スタッフの信頼厚い現役のレッスン馬だ。
実は何年か前、プーちゃんは寝違え(注)をして怪我をしたことがあるそうだ。
(壁の近くで寝てしまいスペースが足りずに自力で起き上がれなくなってしまう事。暴れてケガをしてしまう事もある)
しばらく歩様がかんばしくなかった。
ヒポトピア代表の小泉さんは、プーちゃんの年齢も考えレッスン馬としての引退を決めた。
楽をさせて、悠々自適な日々。
しかし体調は良くならなかった。
それどころか老け込み方が一気に早くなったようにすら見える。
レッスンへ出ていく馬を羨ましそうに見送り、寂しそうに鼻を鳴らすプーちゃんを見て小泉さんは考えを改めた。
プーちゃんを再びセラピーホースとして現役復帰させたのだ。
再び子供たちを背にしたプーちゃんの良化は著しく、馬体の張り艶も若返るかの如く戻った。
今も装鞍し、馬房から出すときのプーちゃんの誇らしい顔。
心なしか筋肉もグッと盛り上がり10歳近く若返ったようにすら見せる。
残念ながら唇は半開きだが、本人的にはピシッと閉じているつもりに違いない。
プーちゃんは知っているのだ。
セラピーに来る子供たちが賑やかに厩舎へ入ってくる。
みんな最初挨拶へ行くのは、「自分が乗っている馬」だ。
みんな楽しい思いをさせてくれた馬のことを大好きになる。
「こんにちは、またよろしくね」
馬房から伸ばした顔を小さい手が撫でる。
自分の馬房の前を誰も止まらず素通りされていく、その寂しさをプーちゃんは知っているのだ。
「あー!プーちゃーん!」
子供が駆け寄ってくる(馬房内で走るのは禁止)。
草色のよだれを垂らす自分の顔を、嫌がりもせずに可愛い手で撫でてくれる、その喜びをプーちゃんは知っているのだ。
超高齢の、しかも功労馬をいつまでも働かせるなんて、という意見がひょっとしたらあるかもしれない。
けれど今日のレッスンもプーちゃんは完璧だ。
上に乗っている子を不安にさせるような動きは一切しない。
もちろん怠さもない。
きびきびと動く。
そして、ゆっくり動いて欲しい時は、そう思うだけで見事にこちらの意図するペースまで落としてくれる。
レッスン中に、私の意図を感じ取ろうと澄んだ瞳でジッと見てくるプーちゃんは「必要とされていることの喜び」を知っているような気がしてならないのだ。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・
心外無別法(しんげむべっぽう)とある。
すべての現象はそれを認識する人の心がつくり出したものだという意味だ。
「幸せ」や「不幸せ」は、そのものがカタチとして現れるものではなく、それを認識する人の心が作り出した現象で、心の持ちようでいかようにも解釈できるという教えだ。
お金を落として、損をしたと悔しがるか、お金だけで済んでよかったとホッとするか。
ヒトからお礼を言われて、ありがたくその気持ちを受け取るか、お礼だけかとがっかりするのか。
いささか大袈裟に言ってしまえば、幸せでありたいと考えている人は幸せになりたがっているように見えるし、不幸だと嘆く人は不幸になりたがっているようにも見える。
休養するのも幸せだし、仕事をし続けるのもやっぱり幸せだと思うのだ。
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レッスンがすべて終了した。
正直、疲労困ばいだ。
やはり今日の湿度はキツイ。
帰り支度を始めていると、カラッとした極上の笑顔で除湿女子が言った。
「(帰る前に)全部の馬の水を足しておいてくれたら嬉しいです。」
これは・・・必要とされているんだよな。
こき使われてるんじゃないんだよな。
・・・幸せなんだよな。
この記事へのコメント
子供たちに囲まれて幸せですね。
いわゆる「愛護団体」といわれる集団が人間の都合で働かせるのはけしからんという論調に腹を立てていました。彼らだって誇りを持って仕事をして褒めてもらうことを喜びとしていると思うからです。
プーちゃんの姿はまさにそうだと感じました。
いつもブログやTwitterで楽しく読ませていただいています。無言フォローごめんなさい。
これからも素敵な文章をお待ちしています。
色々な幸せなあり方というものがあるのだと思います。
決めつけることなくしっかりと考えてあげたいですね。
ムギちゃん、ぷーちゃん、賢いですね😊除湿女子のスタッフさん、じろーさんの指示を理解してるというか、分かりあえてるんですね。私がお世話になってるお馬たちもスタッフさんたちとは分かりあえてます😊私とじゃありません😥
ぷーちゃん、30歳で現役なんて、本当にスゴいです❗ステキですね😊とても幸せですね😢ぷーちゃんのこと、泣けました😢
あ、最後に言わせてください。じろーさん、大丈夫です❗じろーさんはヒポトピアの皆さんに必要とされています😊こき使われてるのではないと思います😆🎵
そうですね、ここの馬はホントに賢くて大人しいです。
ダメなんですけど、扱う時の緊張感が全然ユルユルになってしまいます🤣by必要とされたい坊主
プーちゃんはとにかく私は行き当たりばったり過ぎる頑張ってない人生を歩んでいるので参考外で🤣