『ひれ伏すのは気持ち良かった』『陰湿じゃなくて除湿だった』

2022年08月22日

『港区女子は馬頭観音だった(違う)』

私はこのブログやTwitterを中心にSNSで発信をさせてもらっている。

その主たる目的は「ウマの素晴らしさ」を多くの人に知ってもらう事だ。

たまたま巡り合った某調教師が素晴らしかったおかげで、私も多くの名馬に携わらせてもらった。

それなのに突然僧侶になったものだから、私を人格者だと勘違いされる方が多い。

 

残念ながら私は「煩悩が清々しいまでに剥き出しで歩いている」とまで言われた人間だ。

幸い金銭や名声に大した興味は無いが、楽しい人生を歩みたいという煩悩は尽きることが無い。

僧侶となりウマへの恩返しとして何ができるのか。

今は「ウマの素晴らしさ」を発信することに無上の喜びを感じている。

 

私の経歴の珍妙さと、お釈迦様の威光をずうずうしくフル活用していることもあって、最近は発信していることが少しずつ人の目につくようになってきた。

こんな胡散臭い坊主なのにありがたい限りである。

 

しかしそれと同時にちょっと気になることが出てきた。

それは凄く正直に言えば「ちょっと贔屓目におウマさんを表現している」ということだ。

 

「良いことばかり言っている」とお叱りを受けるが、良いことばっかり言うようにしているから当然なのだ。

開き直って言い訳すれば、もしお見合いの相手を紹介するならば多少大袈裟に褒めるだろう。

「いい人なんだけど、実は廊下にキノコが生えるくらい足がクサいのよ」なんてわざわざ言わないだろう。

 

ただ今まであまりにもウマ万能!で能天気な紹介の仕方だったかもしれない。

真剣に問題を抱えている方には誤解を招く可能性もあるので、ちょっと書いていきたいことがある。

 

ウマには独特の癒し能力がある。

そこは間違いない。

だからこそ、ちょっと社会に揉まれて疲れた人に「ウマに会いに来ると良いですよ」とお勧めしている。

 

となると当然湧いてくる疑問がある。

「じゃあウマ業界はすべての人が精神的に健康優良マッチョなの?」というものだ。

しかし残念ながら、一般の会社と変わらず精神的に疲弊してしまう人がいる。

 

ウマがそばにいるのに病んじゃうの?

え?じゃあウマを頼ってもダメじゃん。

という話になってしまう。

私自身もそこが疑問だったし、無責任にもその部分に目をつむって「ウマ万能!」と叫んでいた。

 

しかしごく最近、その疑問の答えになるような体験談を聞くことができたので紹介したい。

ある50代の男性の話だ。

彼は元々外資系の商社に勤めていた。

発想が貧困で卑屈な私がひれ伏すパワーワード「外資系」。

港区女子とバーカウンターでウフフとかコラコラとかしてる「商社マン」だった。

 

冗談さておき彼には部下も多く、相談に乗る機会も多かったので心理学を勉強しカウンセラーの資格も得たそうだ。

そして、その過程で「ホースセラピー」というものを知った。

興味を持った彼はボランティアでお手伝いをするようになる。

 

ウマと子供たちの織り成すピースフルな世界に触れるうち、徐々に今後の自分の生き方に「このままで良いのだろうか?」という疑念を持つようになった。

そしてなんと商社を退職し、ホースセラピーの施設へ就職してしまう。

 

ウマと出会って転職するという大きな転機を4行でまとめてしまったが、「さもありなん」だ。

実際ウマというのはそれほどの破壊力を持っている。

ウマとの生活というものは、俗っぽい地位や名誉などまとめて色褪せさせてしまうくらいに魅力的なのだ。

 

やっぱりウマ凄いじゃん。

私はほくそ笑んだ。

港区女子のウフフなどウマの鼻フニフニの前では無力なのだ。

 

しかし、ここから意外な方向へと話は進んでいく。

 

希望に満ち満ちてホースセラピー施設で働く日々。

彼はウマに関してはほぼ素人だ。

それでも一からの勉強が楽しかった。

 

だがそれとは裏腹に、彼は自身の変調を感じるようになる。

徐々に怠さを感じるようになり、なにより気持ちが重く沈んでいく気がした。

カウンセラーの資格を持つ彼には思い当たるケースが一つあった。

 

「これは更年期障害なのではないか」

 

すぐに病院へ行くと診断もそのとおりだった。

治療法として男性ホルモンの投与が一般的なのだが、そのためには事前の検査が必要となる。

もし甲状腺がんがあれば男性ホルモンの投与はがんの進行を早めてしまうからだ。

 

結果、果たしてがんが見つかった。

ただ幸いなことに初期のものだった。

すぐに手術を行い、がん細胞を綺麗に除去する。

 

これですべてが良くなる。

そう思った。

しかし何故か、気持ちはより一層落ち込んでいった。

 

更年期障害にガンという事実。

今までバリバリ働いたという自分の根幹を成す精神的な支柱が徹底的に破壊されてしまったのだろう。

治療の手術ですら自分が一己の儚い人間だと思い知らせるものとなってしまった。

 

すべてが重く感じられるようになっていった。

通勤途中で思い病み、そのまま引き換えてしまうようなこともしばしば起こる。

奮い立たせて何とか職場に着いても、疲労感ばかりが増して何もできなかった。

 

ちょっと待ってください。

私は半ば憤然としながら聞いてみた。

ウマは側にいたんですよね?

それでも元気出なかったんですか?

馬ダメじゃないですか!

全っ然万能ではないじゃないですか!

 

「関係無いんです」

彼は思い起こしながら静かに言った。

 

落ちていく時は、もう周りとか全然関係無くって、全てが内向きになっちゃうんです。

「癒されたい」とか、そんなことすらも考えられなくなるんです。

「こうすれば良くなるんじゃないか」とか、前向きな解決法を考えることがそもそもできなくなるんですよ。

 

結局そのまま回復することは無く、ついに彼は休業することになった。

家でジッとする日々。

底なしに落ちていく感覚。

このまま治らないのではないかという不安。

みんなが仕事しているという罪悪感。

考えがまとまらず、焦燥感ばかりが募っていく。

 

ただ横になり、一日中動画サイトを眺める。

これが社会とのほんのつたない繋がりを保っているような気がした。

一日が終わるころ、結局はそれも堕落した行為として自身を蝕んだ。

 

もともとしっかりとした知識があった彼でもこうなのだ。

対処のしようがない時期があるという事だろう。

 

「で??結局、何が良かったんですか?」

「ウマの良い話」を聞きたかったのに、まるで門前払いだ。

ウマも港区女子同様、全然ダメではないか。

(ちなみにというか当然だが、彼は港区女子の話は一切していない)

 

「何が良かったのか・・・そうですね・・・やっぱり医師の診察をちゃんと受けることですね。そして薬にもしっかり頼る。」

彼はつづけた。

「あとはやっぱり・・・『時間』ですねぇ。」

 

海の底のような場所で一人静かにもだえる日が続く。

「永遠に続くのではないか」と恐れおののいた闇の日々。

そんな時を経て。

 

日の光が自分に届いていること感じる瞬間がフトやって来る。

内へ内へと向き続けていた思考が、スッと外へ向く瞬間がある。

 

「ちょっと散歩でもしてみようかな」

 

そこからさらに時間はかかる。

アップダウンを繰り返し、ついに自然に

「職場へ行ってみようかな」

という気持ちが湧くまでに至った。

 

連絡をして顔を出す旨を伝える。

ちゃんと行けるかどうか不安だったが、なんとか職場へ到着した。

職場での彼に対する理解度も高く、ごく自然に受け入れてくれる。

 

挨拶から、たわいのない世間話へ。

にこやかな会話の中で、どうしても自責の念がムクムクと湧き上がってくる。

もちろん誰も彼を責めていないが、その気遣いを感じてしまう事が辛かった。

 

ああ、まだやっぱりダメかな。

無理だったかな。

 

一人になり馬房へ入った。

一頭のウマがジッとこちらを見ている。

側へ立ち首元をポンポンと愛撫しながら挨拶をした。

 

「久しぶり」

「まいっちゃったよ。調子悪くなっちゃってさ」

 

ウマはただこちらを見ている。

 

突然、澱のように深く積もっていた感情が泡立つように湧き上がった。

それは彼を蝕むのでなく、一気に外へと溢れ出していく。

 

彼は泣いていたのかもしれない。

気がつけば取り留めのない不安な気持ちを、ただひたすらにウマに向かって吐露していた。

 

慰めてくれるわけでも無い。

寄り添ってくれるわけでも無い。

それでも傍に立っていてくれるだけで無性にありがたかった。

 

ウマキターーーーーーー!!

やっとウマキターーーーーーー!!

盛り上がってきたところの台無し感が半端でなく申し訳ない。

だってやっとウマ出てきたんだもん。

それにしても、すごいな。

 

ウマの何が良かったんですかね?

 

「よく言われるけど、やっぱり大きさだったり体温だったような気がします」。

 

もうとっくにお気づきの人もいるだろうが、これは私がお手伝いしているホースセラピー施設ヒポトピアでの話だ。

もちろん本人の了承を得て書いている。

ズラリとエース級のセラピーホースが揃うこの場所でも病んでしまう人がいる。

 

残念ながらウマは万能では無いし、人とはそういうものだ、ということだろう。

 

ただ彼の今までの話から、改めてウマの凄さを確信した。

それは「大きさと体温」だけではないウマ独特のものだ。

 

ウマの距離感が良いのだ。

人相手だとどうしても感情のやり取りがある。

おそらく察しが良すぎる犬もそうだろう。

心底気持ちが落ちている時には、気遣いや思いやりすら負担になってしまう。

自責の念が強ければ強い程に。

 

ウマはただ側にいてくれる。

泰然とそこにいる。

その優しい瞳で「あるがままで良いのだ」と教えてくれるのだ。

 

―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・

 

「観世音菩薩」いわゆる観音様がいる。

 

人々の救いを求める声を聞けばただちに救済するという菩薩様だ。

大乗仏教において特に厚く信仰されている。

多くの寺院で行われる御祈祷は「観音菩薩」の御前で行うのが一般的だろう。

 

世間一般のイメージは「願い事を叶えてくれる神様」だろう。

私もそう思っていた。

これはいろいろと間違っているのだが、それはまあ置いておこう。

坊主が言うのもなんだが宗教の話は面倒くさいのだ。

 

とにかく私を指導してくれた老師様が教えてくれた話を紹介したい。

 

老師様の寺には毎月の観音例祭(ご祈祷)を欠かさない一人の檀家さんがいた。

感心するほど信心深い方だったという。

しかし残念ながらその身には不幸な出来事が立て続けに起きていた。

 

これでは信仰心など無くなってしまうのではないか、と老師は心配していた。

しかしその人は老師に向かって

「辛い時ほど観音様が見守ってくれている」

と言ったそうだ。

 

内心驚きながら老師が話を聞くと

「私は願い事をしないのです。ただ進もうとする私を見守ってくださいというだけです」

こう言ったそうだ。

そして観音菩薩をそばに感じている、と。

 

老師様はこの檀家さんから、こう学んだと話を締めくくった。

「願いをかなえるのが観音さまなのではない。本人が前に進もうとするなら、そっと寄り添い一緒に進んでくれるのが観世音菩薩なのですよ」。

 

つまりドラえもんではないのだ。

ピンチに無双無敵な反則級の道具でグイッと救い上げてくれるわけではない。

しかも手を引いてくれるわけでも、尻を叩いてくれるわけでもない。

 

ただ、いつでも見守ってくれているのだ。

それはそれは優しいお顔で。

それでいいんですよと。

 

・・・。

・・・・・・・・。

これはもう、ウマではないか。

まるっきりウマではないか。

 

今になって気がついた。

そしてウマは観世音菩薩の化身なのではないか、とすら思えてきた。

はたと膝を打った。

そもそも「馬頭観音」がいらっしゃるではないか。

観音菩薩が救済のために変化をし、その六観音の一尊が馬頭観音とされている。

 

ヒト以外で唯一菩薩として崇拝されているのが、なんとウマなのだ。

昔の聖人はウマの慈悲深い瞳を見て、そこに観世音菩薩を見出したに違いないと確信する。

 

(やっぱり港区女子の方が良いなんて微塵でも思った人は退場を願いたい。

あなたはある意味健康だ。)

 

―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・

 

もし今。

とても辛い人がいて、このブログを読んでくれている人がいたら。

深い底の闇で身悶えている人がいたら。

たとえいま一切の希望も持てないとしても。

 

差し込む光の筋へ向かって、手を伸ばせる時がいつか必ずやってきます。

大丈夫。

あなたは大丈夫。

 

そして覚えておいて欲しい。

 

いつか外へ向かう気持ちが出てきたら。

けどまだ、他人の想いがあなたを疲弊させてしまうなら。

 

馬に会いに行ってみてください。

あの優しい瞳に気持ちを吐露してみてください。

きっと何かが変わります。

 

港区女子じゃなくてね。



kashikoyama at 17:30│Comments(2) | 僧堂

この記事へのコメント

1. Posted by テスコらぶ   2022年08月22日 19:45
5 私も長く服薬して、障害認定から6年になります。
体調には波があって、さる高貴なお方の笑顔が眩しく、その陰できょうは出来た、でも明日は大丈夫かしら、という不安と、折り合いをつけておられるであろうお姿も大きな希望です。
妙なアンテナがやたら敏感になってしまったり、一つひとつお返ししてきた「当たり前にできたこと」も両手にあまり、消えたくなる衝動も突然襲ってきたり、奈落がポカッと傍らにあったりします。
快復(寛解)に向かう方も揺り戻しに注意が要りますが、あるカトリックの司教によると、人はやわらかくあたたかなものに包まれている感覚が必要なのだそうです。
モノでも空間でも言えることですね。

スタッフさんが護られますよう…オン・アミリトドバン・ウン・パッタ・ソワカ🐴
2. Posted by JIRO   2022年08月22日 21:31
>>1コメントありがとうございます。私の周りにも複数人服薬が必要な方がいて、話を聞く機会もあります。
やはり一筋縄ではいかないというか、簡単に治癒するものではないのだなとの思いも持っています。
その一方で冷静に自分の状態を把握して上手に付き合っておられる方も多いですよね。
私も馬と同様に話を聞くことしかできませんが、「見守っています」という事を言葉以外でも伝えられるような僧侶になりたいと思っています。

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